保護司の役割と許容範囲

大麻分区 洞野 博文
平成11年12月1~2日の二日に渡り、初任者研修を受けて保護司の仲間になれました。
資料の中に江別地区は4名でした。一応 同期は6名ですが内2名は復帰と転任でした。
翌12年の3月に所在確認の依頼が来て、主任官にどうするのかの手順を聞き、依頼された氏名とは違う学生アパートの一室を朝、昼、夕方と3日間向かいの公園から見張りました。
折しも春休み期間の為か何の動き(出入り)もありません。
散乱している郵便物を見ても氏名が違っていました。
当時、「まず電話連絡で」と依頼されていたので、電話をしたところ、担当主任官は休暇中で、違う観察官から「呼び鈴を押した?各個別メーターの動きを見たか?確認して居ないのでやり直し!二日間張り込め!」と指示されました。
何か、腹が立ちましたが一度受けた事なので指導された通りに務めました。
案の定、その部屋の動きはありませんでした。
再度、連絡すると担当の主任官から労いを受け、この件は終わったと思いましたが、8月に再度確認を依頼されました。今回は報告書も届きました。
又、夏休み中の時期に?と思いましたが、暑い中、車中で二日間粘りました。

案の定、その部屋の動きはありませんでした。ところが国勢調査の時期でチラシを配る調査員を見かけ、その部屋の住人確認をして頂けたので、春の時と別人が入居している確認が取れました。
そして警察でも無い私が何で二日間も自分の仕事を投げて、こんな事をやらなければならないのか、事務局に出向き不満を述べて保護司の辞意を伝えました。
すると当時の会長がすぐさま観察所に電話を掛けて「ウチの新人で将来の幹部候補者に、他の者に頼めない案件をさせたな!こんな案件はもっと馴れた者に依頼しろ」とすごい剣幕で抗議して頂きました。

そして私に、「俺の顔に免じて、俺の在籍中は辞めないで保護司を続けて欲しい」と言われました。
すごい恐怖と威圧感?を感じました。
次の日、担当主任管より丁寧な謝罪と別の案件、沖縄出身の大学生で交通事犯の課題付き観察を依頼されました。
この子の後見人?親の代理人はゼミの教授との事、一回目の面接に来る迄10日間、大学に連絡して教授同伴で面談をお願いしたところ断られ、やっと初回面接にこぎ着けました。
会ってみると人見知りで素直な青年でした。課題も予定の倍でこなし順調でしたが、12月の中旬にスピード違反で警察署に呼び出され身元引受人になりました。
教授が警察署への出頭を断ったので私に引受が回って来たのでした。その車は友人の物で、友人はアルバイト先に車で行ってしまい、私の車で帰る道すがら課題の復習をしました。
年が明けて、面談の約束の日に来訪が無く一週間が過ぎ教授へ連絡したところ、教授は定年で離職されていました。年上の教授に親権者の自覚の無さを説教して該当者の所在を探してもらいました。
家庭の事情で退学して、実家に戻っていました。折しも面談の予定の日に退学したとか、その旨を主任官に報告してこの件は終了しました。
これから永い職務で、今迄、幾人かとご縁があって指導?勉強させて頂きましたが、私の担当で把握している再犯者は3名であり、これと言って身の危険を感じた事も無く、該当者に恵まれた保護司経験で、しいて言えば、初任時の会長が怖かった位で、彼が他界されても、いまだに恥ずかしながら保護司を続けております。

