協力雇用主とは

江別分区 井上浩靖
私達、江別地区協力雇用主会は平成30年11月19日、江別地区保護司会の全面協力のもと、加入企業30社で設立し、4年経った現在は34社となっております。
私達の最大の目的は、犯罪や非行をした人の自立及び社会復帰であり、その為に事情をよく理解したうえで雇用し、立ち直りを支援するものであります。
その為に私達の事業として札幌保護観察所と連携した研修会の開催、加入企業の情報交換会等を行い、雇用主としての理解を深めております。
現在、全国に約25,000社の協力雇用主がおり、その多くは建設業、サービス業、製造業が全体の8割を占めるとともに、従業員規模100人未満の企業が全体の7割を占めております。
実際に刑務所出所者等を雇用している企業は、そのうち約1,500社程度となっております。

法務省では協力雇用主となり、実際に雇用をしてくださった雇用主の方には、最長1年間の奨励金を支給する『刑務所出所者等就職奨励金制度』や『身元保証制度』『トライアル雇用制度』『職場体験講習』『事業所見学』『公共調達における雇用実績の評価』など様々な国の支援制度を受けることができ、補償制度も充実しております。
さらに江別市では建設業に限って、入札参加資格申請で格付け基準に保護観察対象者の就労支援に関する項目が追加され、条件を満たす企業においては一定の点数が付与されます。
今後、江別地区協力雇用主会としては刑務所出所者等の円滑な社会復帰・職場定着のためには適切なマッチングが重要となり、そのためには幅広い業種の事業主の方々にご登録が必要と考えております。
どうか趣旨をご理解の上、私達と一緒に更生保護について行動してみませんか?ご入会をお待ちしております。
保護司一期一会でありたい

匿名保護司
保護司を拝命して……ウム⁉ 〇年?
思い出すと、色々な事例が有りました。拝命を受けた当時は、環境調整や対象者を二名から三名を持っていて「大変な仕事を受けてしまった。これから先大丈夫かしら?」と不安で一杯だった事と、来訪・往訪が次々で1ヶ月がアッ‼と、言う間に過ぎてしまう。このような状況の中で一年、二年と過ぎ、気持ちにも多少なりとも余裕が出てくると、以前のケースが振り返えられる様になり「あの時は良かったけれど、この時はこうした方が良かったのではないか」と反省やら反省……等々。数ある事例の中から、印象に残ったもので差支えの無い部分で、綴ってみます。
両親もサジを投げた
高校一年生(直ぐ中退)兄妹四人で本人以外、皆が保護観察を受けても不思議ではない。
この家庭は、父親の事業が駄目になり母親が、早朝・日中・夜と文字通り寝る暇も惜しんで働き、両親が子供に目が届かず、自由になってしまった。
主任官の駐在面接を受けながら、また主任官と往訪をする等の活動でした。そして悲しい事に両親も匙を投げてしまう。今迄のケースで少年では良好解除にはならなかった残念な例でした。
信頼関係
対象者の少年に「俺は○○の親分を知っているのだ‼」と威嚇をして来た。

こちらとしては、「アアそうなの。その方を連れていらっしゃい。その様な立派な親分さんは、保護司の立場を良く分かっていると思う。きっと貴方が困る立場になると思う」と伝えると、態度が変わり以後問題もなく、信頼関係も出きて友達の事や家庭の事等良く話してくれた。
勉強はできる子なのに!?
これはビックリ‼ 対象者が有名私立某大学現役の二年生、どの様に接したら?と心配したが普通の若者と同様に……
無事に三ヶ月で終了ホッした(笑)
二世代にわたって担当することに
数年前に親を対象者に、それから一年毎に「先生から離れて一年経ちました」「二年経ちました」…「七年経ちました」と、それから間もなく「先生、息子が収監されてしまいました。
息子の担当になってほしい」と言われ「申し訳ないが当職からはその様な事は出来ない、本人から少年院等に話したら、もしかしたら…。
観察所から連絡があったらお手伝いをさせて頂きます」と、年月は違っていたが、結局親子を対象者としてのケースでした。
少年は「オレオレ詐欺の請け子」で収監、会ってみると気の弱そうな子で、理想と現実が掛け離れ過ぎ、二十三歳とは思えない大人には成れていない人。
当職から「世間の風は、時として木枯しより冷たい。
何かを始める前に両親と相談を」とアドバイス。
黄色いテープ
これは当職としてショックを受けたし、どうする事も出来なかった、それは解除になってからの出来事でした。
突然「先生、僕わかりますか?××の○○です」と電話。

…? アアあの時の子(七、八年前に解除に)「お久し振り、何か有りましたか、お元気?」元気にはしているが色々な事があったと、泣きながら話をしてくれた。
「頑張って生きています。先生の事を思い出して電話をかけています」と、話を聞き「重たい荷物を背負いましたネ、辛いですネ。聞いてあげる事しか出来ませんが、一人で思い悩んでいるより話すことで、少しでも気持ちが軽くなるのなら」と。
「先生に話をして少し落ち着きました。有り難う御座いました。頑張ります、また電話をしても良いですか」と「何時でもどうぞ」との会話後、病気だと言う母親のお悔やみを新聞で知り、「アア!独りポッチに」と思った矢先に一ヶ月もした頃、本人のお悔やみを新聞で知り、何とも言えない複雑な気持ち。
いつも買い物で通る所、そこで目にしたのは警察の黄色いテープでした。

以上、沢山あったケースから心に残った事例を、かいつまんで紹介させて頂きました。編集部の方から「今迄のケースで何か事例を」と言われて、「何を?」と悩みました。
色々な事例から多くの事を学ばせて頂きました。今は事件も減り「凄い!」とか「酷い!」と思うケースは余り耳にしません。
当職が拝命を受けた時とは違い、開かれた保護司会になりサポートセンターに於いては、仲間との交流が出来る環境になっている事に大変嬉しく思い、これからも皆様のお力添えを頂きながら、活動をしていきたいと思っております。
図書を新しく購入しました。
「女子少年院の少女たち、普通に生きることがわからなかった」

「非行・犯罪からの立ち直り、保護観察における支援の実態」

「余命3年社長の夢(北洋建設社長)」

「人を信じられない病、信頼障害としてのアディクション」

以上の4冊です。是非、ご利用ください。ご要望などありましたらお寄せください。(図書係)
今ふりかえって思うこと

大麻分区 島田泰美
今振り返ってみた時、私に保護司の依頼のお話があったのは平成25年の秋だったと思います。
もう既に退任なされた大瀧さんからでした。大瀧さんとは自治会の関係で以前から親しくさせて頂いておりました。
当初私の住んでいる所は、元野幌という町名でしたので、野幌分区に入る予定でしたが平成26年から大麻泉町と町名が変わり、野幌地区から大麻地区になりましたので、大麻分区担当となりました。
話は戻りますがこのお話があった時、私はわりと早くに決断を致しました。
というのは私どもの会社は塗装業で50年近く、ここ江別市に会社を構え、現場のほとんどが市外(札幌・他)でありますが、いわゆる従業員は職人と呼ばれる方々なので独特の雰囲気がありました。

私が20歳代の頃の会社の職人は、既に前科のレッテルを張られた方々もいて一緒に仕事をしていましたので、特別意識もしていませんでした。
当時旭川出身の職人がいまして、やはり前科がありましたが、一生懸命に仕事をしていたように思えます。
只、1年位で会社を辞めて旭川に戻り、事情はよく分かりませんでしたが焼身自殺をして亡くなりました。 当時社長だった父は、それほど長く会社を務めていた職人ではありませんでしたが、旭川まで行き弔って来たそうです。
人情に厚い父でしたので尊敬もいたしました。
そう考えるとこれまで私は(当時62歳位)これといって人の為になる事は余りやってこなかったので、還暦を過ぎた頃からそれではダメだと思いこの機会に保護司を受けることを決意致しました。
又、令和元年5月に発足致しました「江別地区協力雇用主会」に関わりますが、現在の会社の社長は弟であり、考え方は私と同じで「江別地区協力雇用主会」に入会する事には異論はありませんでした。
只、私自身保護司としてこれまでもそれ程の達成感も無く、手応えのないまま10年近く過ぎてしまいました。
現在私は対象者一人を担当していますが、本当に私の保護司としての仕事が対象者の更生の為になっているのか、自問自答する日々が多くなって来たような気がしております。
このあと基本的に私の任期は5年位となりますが、直ぐにその日がやってくる筈です。
それでもやはり保護司を引き受けた以上、残りの任期まで常に初心を忘れないように頑張ろうと思っています。
尚、振り返る機会を与えて下さった「サポセン便り」担当の方々に心より感謝申し上げます。

