保護司としてできること

野幌分区 齊藤 順子
保護司を拝命して17年。何人の対象者を受け持ったのかも正確には覚えていません。
いつも対象者と向き合う時に思うことはどんな幼少期を過ごしていたのかということです。
容易に想像できる人もいますがそうでない人もいます。
今回、印象に残っている対象者について書かせてもらいました。
一号観察の少年でしたが、引受人である親とは一度も会うことも 話すこともなく保護観察期間が終了しました。
引受人も保護司と共に更生に向けて何らかの協力が得られると思っていました。しかし何度電話をかけても連絡は取れませんでした。
観察所からの記録に母から裁判所宛に出された手紙の一部が 記載されていました。「今までどれだけ迷惑をかけられたか、縁を切りたい、二度と会いたくない等」と書かれていました。
親が捨てたいと思うような子とはいったいどんな少年なのかと不安でした。
住所不定の本人にはなかなか会うことができませんでした。何とか付き合っている彼女のアパートを教えてもらい往訪することができました。
粋がって大人ぶっていましたが、まだ幼児のようなあどけない顔をした少年でした。大きな事ばかり言い警察にも観察所にも噛みついていました。
この少年は発達に特性があり親は育て難かったと思います。発達の特性を母は教育で補おうと努力したのでしょう。
小さな頃より習い事を何力所も通わせていました。親からの教育虐待と言ってもいいほどです。母の期待とは逆の結果になり、欠陥品と見切りを付けられました。
その後は家出を繰り返し母が手紙に書いている通り迷惑をかけ続けたと思います。
少年からは夜中に時々電話がかかってきました。

話しの内容はいつもお金儲けの話しばかりです。
「そんなにお金儲けて何がしたいの」と訊いても答えることはできません。何もイメージができないのです。
過去も未来もなく後悔も希望ないということなのでしょうか。
ただ否定せず意見せず聞いていると少しずつ落ち着き電話を切ります。
罪を犯し保護観察が付く結果となっても私は残念だとは思いません。
私たち保護司にできることなどたかがしれています。
ですが、真摯に対象者の話しを聴き、再犯しないために一緒に考えることはできます。
そのような第三者がいることが分かっただけでも今後の人生にプラスになるはずです。
直ぐには理解できなくても時を経て何らかの形で活かされる時期が必ずきます。
それを信じてこれからも保護司活動を行っていきたいと思います。
余談になりますが相談員としてネグレクト世帯の支援をしていた頃の話しです。
保育園に送迎しながら「大きくなったら何になりたい?」と話しながら兄と弟と三人で歩いていました。
弟は無邪気に「パン屋さん!」と言いました。
兄は「僕は何にもならない」と不愉快そうに言うのです。
「え!どうして?」と訊くと「お父さんもお母さんも家でゴロゴロしてゲームしているから僕もそうする」と言うのです。
悲しくなりましたがこの環境なら仕方ないとも思いました。
それから数日後「僕、大きくなったらラーメン屋になる」と突然大きな声で言いました。
私ががっかりしたのを感じ取ってくれたのか、一生懸命考えてくれたのです。
「ラーメン屋さんになったら食べに行っていい?」と言うと「うん」と笑顔で答えてくれました。
毎日、笊(ざる)で水を掬(すく)うような気持で支援していた私たちとって心が通じたと実感できたエピソードでした。
